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名もなき慰安婦


満州の夕映え 抑留女性の悲劇体験記 小西ミドリ著

第三章 奪われた赤い振袖

銃で毎夜ソ連兵が脅す


 「来た、来た、来たっ」と小声で呼びかけ合いながら、暗闇の中で手早く身繕いをし、二つ三つのかたまりになって、女たちは壁際に身を寄せた。 子供を背負い、ひざに抱き、一人の犠牲者も出すまいと互いにしっかり腕を組み合っている。 土塀の外あたりから聞こえてくる犬の吠える声に、今夜もまたソ連兵の入って来るのが手にとるようにわかるのであった。

激しく吠えたてる声がだんだん近づき、その合間に何発かの銃声が聞こえた。キャン、キャンと鳴きながら遠のくが、すぐまた激しく吠えたてて近づいて来る。県の種畜場の人が、二頭のシェパード犬を連れて、この収容所に居たのである。それが夜になると放されていた。私たちはこの二頭の犬に、どんなに心強い思いをし、助けられたことだろう。銃声がなり、悲鳴を上げて遠のいて行くこの犬たちの動きに、ただ、全神経を集中するばかりであった。

教会の入り口は二枚の大きな扉で開閉されていた。閉ざされたこの扉の内側には十数名の男たちが立っている。間もなく、犬を追い払いながら近づいて来る彼らの荒い足音が聞こえてきた。そしてコツコツコツ、コツコツコツと扉をノックし始めたのである。威嚇の銃声がシェパードの吠え立てる中で、またも響きわたった。

 だが、扉は開けない。そのうち、いら立つような声と共に、入り口近くの横の窓ガラスが大きな音をたてて破られた。その破れ窓からローソクの灯を持った太い腕が、にゅーと伸びてきて、暗闇を照らし、続いてテカテカと光った高い鼻の赤ら顔の首が入ってくるのであった。女たちのかたまりを見まわしながら、扉を開けろと入り口に立つ男たちに銃を向けている。威嚇の銃声がまたなった。
 間もなく扉の一枚がギーッと音を立てて開かれた。今夜は三人であった。女を三人出せと言う。子供たちも泣き声一つ出さない。親も子も息をのみ、おびえ、震えていた。

ついに女性に犠牲者が、、、

 ある夜、私は十数人の男たちに混ざって主人の陰に立っていたことがあった。他にも兵隊服の若い女が二、三人混ざっていたが、彼らは目ざとく私たちを見つけて、にやっと笑いながら近づいてきた。凍りつくような思いをしたが、坊主頭は嫌だとみえて、それ以上の手出しはしなかった。

 ある日、朝鮮人の通訳が一人ついて来たことがあった。「持っているものは何でも出すから、女性を出すことは許してほしい」と彼に仲介を頼んでみた。その時、「私たちのおばさんや母親たちが、日本兵のためにどんな思いをさせられたか、あなたたちは知らないのか。今、女の二、三人ぐらい何かっ」と激しい言葉が返ってきたのである。私たちは何も言うことができなかった。一人一人はみんな善人なのに。人の心まで焼きつくさずにはおかない戦争というものに、これ以上のどんな意義があるというのだろう。やりきれなく、とても悲しかった。

 その夜も、いくばくかの金を渡して帰ってもらった。手持ちの金は次第に少なくなり、私にはもう差し出す時計も指輪もなかった。

 ある夜、とうとう犠牲者を出してしまった。ローソクを持って一人一人の顔をのぞきこんでいるうちに、その中の一人を引きずり出したのである。騒然となった。子供たちも火のついたように泣き出した。彼らの形相の凄まじいものとなり、扉につかまって助けを求める女性と激しいもみあいとなった。そのうち、その人の夫なのか、男の人が一人駆け出していったが、激しい銃声の中で、もつれるようにそのまま二人とも、闇の中に消えてしまった。悪夢のような一夜であった。

 元慰安婦が防波堤に

 その夜、初めて私たち夫婦は最悪の時を真剣に語り合った。「お前の始末は必ず俺の手でしてやるよ」。日ごろより言葉の少ない夫のこの一言に万感の想いがこめられているようで、私は思わず涙をこぼした。

 続けて犠牲者を出してしまった翌日、難民の中にいた二、三人の街の女性が自分から「ここを出ます」と申し出てくれたのであった。驚く私たちに「どうせ自分たちは身を売る女、少しでもみんなの役に立てるのなら」とカラッと言ってのけるのだった。こうして十数名が集まってくれて街に一つの慰安所ができたのである。出発していくその方たちに私たちは何のお礼もできず、少しばかりのお金を集めて餞別にと上げるだけであった。

 何か目ぼしい物はないかと昼間やって来た若い兵士が、誰の持ち物であったか、赤い振袖の着物を見つけ出し、それを高く舞い上げて、嬉々として持って帰ったことがあった。その赤い振袖が慰安所の女性にプレゼントされていたのである。大切な和服は収容所の人たちに使ってもらいたいと、ほかの二、三枚の着物と一緒に、その人たちから再びここへ返されてきたのであった。うれしかった。純粋であけっぴろげなこの人たちの心情に胸がジーンとなった。このあと二度と、この人たちと会う機会はなかった。健康を害して、ほとんどの人が倒れてしまったと、あとで聞いて、つらかった。



小林です。 これはわたしの親戚の体験記です。  名もなき慰安婦の皆様。 わたしの親戚は皆様のおかげで、無事に内地へ帰ることができました。 心からお礼申し上げます。 どうか安らかにお眠りください。


○女をあさり、ところ構わずレイプしまくるソ連兵。

○当時、合法である慰安所で、きちんと並んで順番をまつ日本兵
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○生涯をかけて、謝罪と賠償を要求する、自称性奴の皆様
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○そして、、日本人の名もなき、慰安婦の皆様  
 皆さん方は決して性奴なんかではなかった。 もし、皆さんが今、生きておられたら、一連の従軍慰安婦問題をどのように思われるのでしょうか。   私たちのことを知ってほしい。 でも、そっとしておいてほしい、、、。  そう思うのではないでしょうか。  合掌


参考、、、このブログのテキストより


自称性奴の皆様。 皆様の境遇には同情しますが、果たして皆さんを連行したのは、一体誰?、、と思う方はクリックお願いします。→人気blogランキングへ
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by cube_text | 2005-10-04 05:10
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